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巨星、墜つ。

 小川浩史さんが亡くなられました。

 「人生の師」と仰げる人はそう多くはありませんが、一人だけ、ということでも無いと思います。

 現に私には心の中で「師」と仰いでいる方が(年下の人も含めて)何人か居ます。

 しかし、今回は小川さんについて書きます。

  元来、「あの人は(あなたは)私の師です」などと声高に言うのは好きではありません。

  また、書くことで大切な師を失った心の虚ろが癒えるわけではありませんが、
  どうしても、帰宅した今、直ぐに 書かなくてはいけないと思いました。

 その訳は最後に書きます。

 クロスカントリースキー技能検定1級受験の時に、初めてお声をかけていただいて以来、
今日まで人間としての器の大きさ、いつも上下を問わず笑顔を絶やさず接しておられたお人柄、
華々しい戦歴に裏付けられた技術と指導の確かさ、

そして、何より日本のクロスカントリースキー界の発展のために、
(この中には障害者クロスカントリースキーも含まれます。)自ら率先して動き 、
強い意思と忍耐で組織や関係者を牽引してこられた、
「本当に強い巌(おとこ)とはこういう人のことを言うのか」と感化され、
心の中で「師」と仰ぎ、(実のところ全く役には立ちませんでしたが)
「私も何かを成さなくては」、と、
お会いするたびに心が引き締まる思いでいっぱいになりつつも、
御一緒していると何故か心が暖かくなる。

私にとって小川さんはそういう方でした。

 初めて私の中に小川さんが強烈に焼きついたのは、1級受験の後、結果が出るまでの半日、
受験会場である新潟県妙高の池埜家
(横山久雄クロスカントリースキーセミナー、横山先生の宿)
の周辺を、参加者と共にクロスカントリースキーを履いて散策をした時です。

 たいした競技戦歴も無い私にとって、クロスカントリースキーの技術は難解でした。

大学の時にマラソンが速かったのがきっかけで請われて入部し、
技術というよりは体力で参戦していた私が技術に目を向け始めたのは、
社会人になって暫く経ち、
健康診断で所謂「メタボリック予備軍」と言われ、
再びクロスカントリースキーの板を履いてからでした。

 兎に角、技術的な解明をするために、まず神保町の本屋を歩き回り、
クロスカントリースキーの書籍、ビデオを買占め、読破する一方で、
やはり本質を理解するためには一次情報
(本というのはどこまでいっても2次情報だと思っています。
それを読んだ人が、その情報を元に何を成すかが大切です。)
に触れなくてはいけないと思い、横山先生のセミナーに参加し、
ここで得られた貴重なお話や、
上級競技者向けのキャンプなどにも参加させていただきながら、
文字情報(2次情報)と一流の技術(一次情報)を比較検証しつつ
自分の中で昇華させる作業を続け、
自分の意思を貫く(退路を断つ)ことと、
クロスカントリースキーの情報をもっと一般的なものにしたいという思いから
世間に対しホームページを立ち上げ、
長野オリンピックあたりからTVで放映されるようになったオリンピックも録画して
何度も書籍やそれまでの体験と突合せ、練習し、実践し、
それを今度はホームページをきっかけに知り合った裏磐梯のコーチに頼んで
ビデオで撮影してもらいながら、自分の中にあるイメージ(理想のフォーム)と
現実の自分のフォームをつき合わせて、
オフシーズンにはローラースキーを履いて矯正する、
ということを繰り返していた時、
「クロスカントリースキー技能検定」という制度が発足しました。

 今思えば随分若かったと思いますが、
自分が蓄積し、練習してきたことがどこまで通用するのか、試してみよう、
という気持ちで受けた、というのが
(ここのホームページの読者にはお分かりのことと思いますが)
受験までの経緯です。

 話を戻します。

 競技経験を通じて技術に意識が向いている人、無意識の領域に達している人、
私のように技術に興味がある者なら、たとえ散策であっても、
頭のてっぺんから指の先に至るまで、体や板の動きに対する感応度が高くなっています。

 このときの散策もわたしにとってはそうでした。

 決して条件が良いとはいえない雪質に加え、
林の中は雪の上に針葉樹の葉や枝が落ちていたり、
春だったので枝なども雪の中から頭をもたげてきています。
こうしたなかで、次の一歩をどの方向に板を出すか、ということを、
無意識のうちに考えているのですが、
すぐ隣で談笑していた小川さんが一歩踏み出した瞬間、
これ以上無い正解を見た私は鳥肌が立ちました。

 クロスカントリースキーは直線の積み重ねです。

 競技であればスタートからゴールまで、一歩で1つの直線。
これが何百、何千、何万と積み重なるということです。
限られた幅、複雑な起伏や雪質のコースで、
どういう直線を積み重ねてゆくか。


  それがタイム差になって勝者が決まるスポーツであることは、
最近(昨年から今年にかけて知られるようになりました。)、
欧州のチームが、コースの多くのポイントを定点観測し、
タイムの良い選手とそうで無い選手がどういうコース取りをしているか、
或いはどういうテクニックを使って走破しているかを調査したという事実でも明らかです。

 その多くの示唆を、欧州チームの調査が話題になるはるか昔のあの時期に、
この一歩だけで気づかせてくださった小川さんは、
まず、技術に興味があった私にとって強烈な印象を放つ人物となりました。

 この受験をきっかけに、小川さんの在籍する横浜スキークラブと神奈川県連に
お世話になることになった私は、
合宿のたびに小川さんの居る部屋にお好きな焼酎「神の河」を
2、3本持参しては転がり込み、お人柄に触れることになります。

 良く飲み、良く歌い、酒飲みに優しく、そんな中で、
これからのクロスカントリースキーや組織についていつも考えておられた
小川さんと過ごさせていただいた酒盛りの部屋の日々、
そして、障害者クロスカントリースキー協会に関わっていたのがご縁で、
神奈川県での障害者の若者のコーチとして、
小川さん、オリンピック選手だった方に加え、
末席として、あろうことか3人目のコーチとして私も参加させていただき、
2日、6こまの短期間ではありましたが、
目に見えて上達した彼らの活き活きした眼差しを共に見る機会を得、
神奈川県連の障害者タスクにも参加させていただくなど、
クラブ以外での活動で御一緒させていただくことが多かったですが、
まず、その器の大きさに触れ、
どんな状況下でも変わらない穏やかな笑顔(難しいことです。)に触れているうちに、
いつしか「こんな自分でも何か出来ることは無いのか?」
という問いかけをするようになっていました。

 「硬直」「ねじれ」「KY(空気読めない)」、、、

小川さんという「巌」と共に過ごした私には、

今、 世の中に飛び交っているこうした言葉が耳障りに聞こえます。


  本来、その「輪」の中に居る人が、
あたかも「輪」の外から他人事のようにモノを言っているからでしょう。

 小川さんのように「正しい直線」を刻めるほどの力は私には無いかもしれません。

 しかし、今から、何百、何千、何万の直線を、この足元から刻み始めようと改めて思います。

 通夜で御焼香したとき、小川さんを偲んで目を腫らして泣いていた若いお嬢さんたちが居ました。

 彼女たちを、小川さんの写真は、あのいつもの優しい笑顔で見つめていました。

 沢山の人たちが私や彼女たちと同じように、小川さんが何を考え、
  どう歩んできたかを自分達なりに租借していると思います。

 どうぞ、安心して、安らかにお休みください。


  御冥福をお祈りいたします。

2008年4月30日
水平 知

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